パート1で触れたとおりオーストラリアとの縁が深くなっていた私は、2005年以降、頻繁にメルボルンを訪れるようになった。2000年から日本のベンチャーキャピタルで5年ほど投資を経験し、2006年に独立してからも、スタートアップ支援がビジネスの一部を占めていた私が、オーストラリアのベンチャー事情やVC事情に関心を持ち始めたのは自然な成り行きだった。こうして当時の有力VCやスタートアップ企業を訪問したりして、オーストラリアのベンチャー業界の人脈を地道に築いていったが、ビジネス対象として現実的に意識するまではさらなる時間を要した。
私がオーストラリアのベンチャー業界に本格的に関心を持ち始めたのは2013年以降である。だがその前に伏線となる、ある出会いがあった。その人物こそDoron Ben-Meir、現在我々のファンドの投資委員会のチェアマンだ。彼と最初に会ったのは、確かリーマンショック直後の2008年だったと思う。古巣の富士通からの紹介だった。以来、彼とは私がメルボルンを訪問するたびに会って、情報交換をするようになった。
その後しばらくして、彼が政府主導のスタートアップ支援組織Commercialisation Australia(現Accelerating Commercialisation。以下CA)のトップに就任したが、今思えば補助金付与組織としては極めて先進的なCAの存在はその後のVC市場発展の予兆だったように感じている。2013年にはその彼の勧めで、私がCAのExpert Network(外部メンター)のメンバーになったことは、大きな転機であった。CAは当時、設立からまだ2~3年しか経っていなかったが、Proof of ConceptからEarly Commercialisationまでの各段階で、既に500社以上のスタートアップを支援しており、各ポートフォリオ企業は、担当の経験豊富で有能なCommercialisation Adviserに手厚くサポートしてもらっていた。そこで私は、どの企業にもアクセスできたExpert Networkの特権を利用して、ポートフォリオ企業500社以上の中から有望な約60社に注目してみた。CAのポートフォリオ企業をよく見たら、私の目にはシリコンバレーのスタートアップ企業に匹敵するほど魅力的な企業や日本では見つからないようなユニークな企業が何とたくさんあるではないか!中には、のちにユニコーン企業となる2社も含まれていた。日本で報道されることは確か殆どなかったが、オーストラリアのベンチャー業界は、2010年代半ばには、大きく変貌を遂げ始めていたのである。このタイミングでそれを実感できた私は本当に幸運だったと思う。
オーストラリアのベンチャー業界のポテンシャルを確信した私は、オーストラリアのスタートアップ企業と日本の橋渡しを事業化できないかと考え始めた。そこで、自分が注目した企業約60社をさらに絞り込んで、30社程度にし、それらにコンタクトし、日本市場進出あるいは日本企業とのパートナーシップに関心があるかどうか尋ねてみた。その結果、3分の1の企業は「将来的に」関心があることがわかった。当時は他のアジア諸国と比べて優先順位が低かった事情もあるが、今はオーストラリアと中国との関係が悪化していることもあり、このニーズはもっと高いと思う。私は、「日本」に関心をもってくれた11社を訪問して、なにか支援できないか議論しようと、2014年にシドニー、メルボルン、キャンベラを1週間ほど訪れた。その中の1社が、我々のファンドのポートフォリオ企業に最近加わったQuintessenceLabs(QLabs)だ。したがって、創業者のVikramとは7年来の付き合いになるわけだが、これまで信頼関係を継続できたことは奇跡に近い。
こうしてオーストラリアの有望スタートアップ企業と親しくなっていった私だが、最大の課題は、資金に余裕のないスタートアップ企業を支援する上で、どうやったらビジネスとして成り立つかということだった。しばらくは試行錯誤を重ねたものの、やはり思いつくのはファンドをつくることくらいだった。とは言っても資金調達やメンバーについて何の目処もたっておらず、そうこうしているうちに時は既に2016年になっていた。
次回は、ファンドのもう一人の創業パートナー、細谷氏がいかにゼロベースからこのファンド構想に価値を見出していったかについて書きたい。
(黒田康史)